竹中恵美子さんを偲んで
戦後の女性労働研究のパイオニアとして知られる経済学者で、ドーンセンターの三代目館長としても活躍された竹中恵美子さんが、2025年7月1日に永眠されました。95歳でした。
竹中さんは、経済学の分野では、まだまだ数少なかった女性研究者でした。家庭責任を負いつつ研究生活を続ける上では、多くの困難にぶつかられたのではないでしょうか。しかし、そうした自身の体験をもふまえ、家事・育児・介護などの無償労働(アンペイドワーク)を女性に偏って担わせている社会システムの問題点に光を当て、優れた研究成果を着実に積み重ねられました。1986年には大阪市立大学(現大阪公立大学)の経済学部長に就任。国公立大学では女性初の経済学部長でした。研究に向ける粘り強さと誠実さ、それでいて謙虚で柔和な人柄にひかれ、竹中さんのもとには多くの女性たちが集いました。さまざまな社会的運動に取り組む人々の、頼もしい理論的支柱でもありました。
また竹中さんは、2001年にドーンセンター(当時の名称は大阪府立女性総合センター)館長に就任。2007年まで、府の財政悪化を背景に組織や運営のあり方が変化していく難しい時期を、志高く私たちと共に歩んで下さったリーダーでもありました。
ドーン財団の専務理事、のちに理事長として、館長在任中の竹中さんを補佐した時岡禎一郎さん(現・評議員)に、竹中さんの思い出をつづってもらいました。私たちも、あの優しい笑顔を今後も忘れることなく、希望ある男女共同参画社会づくりを目指して、粘り強く歩んでいきたいと思っています。
ドーン財団理事長 畑 律江
2009年7月14日(土) ドーンセンターパフォーマンススペース(1F)
鋭く、やさしかった竹中恵美子さん
「振り返ると、ドーンセンター時代が一番楽しく、緊張感に包まれていました」。私が大切に保存している竹中恵美子さんからの手紙に、こんな一節があります。手紙が書かれたのは、2016(平成28)年11月。竹中さんのドーンセンター館長退任から10年近い歳月が流れていました。
10年を経ての回想は、ドーンセンターで6年間余り、竹中さんとご一緒した私の思いとも重なります。全国でも珍しい「NPOとの協働モデル施設」として、多様な民間団体と手を取り合って事業に取り組んだ充実の日々。一方では、大阪府の財政事情悪化に伴い、センターの人員、予算が年々縮小され、不安感にさいなまれます。そんな折でも、「ひるまず、女性たちに力を」と組織の目指すべき姿を鋭く、やさしく、わかりやすく説かれるのが竹中さんでした。赤いベレー帽と笑顔が相まって、職員、スタッフはもちろん、多くの支援者の心の支えであった、と私は確信しています。
私が接した竹中さんは、3つの顔を兼ね備えたまれな方でした。1つは、女性労働についての深い学識をもつ研究者、教育者としての顔。それでいて謙虚でやさしく、筋が通った行動家としての2つめの顔。3つめは、夢見る少女としての顔で、ご高齢になっても現実に安易に妥協せず、人権の尊重、社会改革への志をみじんも失われていませんでした。
竹中さんの別の文章には、「いつも、時代の流れにつき動かされるように歩んできた半世紀」と綴られています。ジェンダー平等実現がなお遠い日本社会の現状に、旅立たれた竹中さんの「頑張りましょうね」という声が聞こえてくるような気がします。心からご冥福をお祈り申しあげます。
ドーン財団評議員(元理事長) 時岡 禎一郎
竹中恵美子さん
1929年生まれ。1952年から41年間、労働経済論を専門に、大阪市立大学に勤務。経済学博士、大阪市立大学名誉教授。2002年3月まで龍谷大学経済学部教授。2001年4月よりドーンセンター館長。1977年以来、大阪府下の女性政策に深く関わる。(財)大阪府男女協働社会づくり財団(現ドーン財団)理事、大阪市女性協会副理事長、世界人権問題研究センター客員研究員、東海ジェンダー研究所理事、大阪労働協会理事などを歴任。
主な著書として、「現代労働市場の理論」(増補版)日本評論社(1979年)、「戦後女子労働史論」有斐閣(1989年)、「女性論のフロンティア」創元社(1995年)、「労働とジェンダー」(叢書「現代社会・経済とジェンダー」全5巻)2巻(編著)明石書店(2001年)など。